12月28日に、草の根ささえあいプロジェクト主催で、「誰ひとり孤立しない社会を目指して~伴走型支援の現場から~」を開催しました。カイパパがご報告します。
この講演会は、草の根ささえあいプロジェクトが現在取り組んでいる厚生労働省社会福祉推進事業「複数の困難を同時に抱える生活困窮者へのヒアリング調査に基づく、当事者サイドからみた相談支援事業のあり方に関する研究」の分科研究会として開催しました。私たちが行っている調査事業の分析を進める上で、新たな視点や論点を外部の方から提示いただく場です。それぞれテーマごとに研究会をするということで(今回は伴走型支援。次回1月12日は生活困窮者自立支援法)、分科研究会と呼んでいます。
今回の会の前半は、北九州ホームレス支援機構代表の奥田知志さんの講演、後半は草の根ささえあいプロジェクトが現在取り組んでいる調査研究の中間報告でした。
奥田知志さんの講演、すごかったです。もっともっとお話をお聴きしたい気持ちでいっぱいです。一言一言に込められた実践と思いと信念の厚みが、ビシビシ伝わってくるのです。出会えてよかった。
研究会では、Twitter実況を行いました。Twitter実況というのは、リアルタイムで講演内容をテキストにしてTwitterで流すことを言います。Twitterではひとつの投稿で140文字しかつぶやくことができません。なので細切れですが、その分スピーディーに流すことができます。
そのTwitter実況をまとめました。分科研究会の内容がわかる、テープ起こしのように正確で、かつ要点をついたまとめになっていると思います。ご覧いただけたら幸いです♪
・「伴走型支援とは何か~生活困窮者支援の現場から~」北九州ホームレス支援機構代表 奥田知志氏講演【Twitter実況まとめ】
読み応えありです。お時間のある時にぜひ!
どの言葉もすごかったのですが、わたしが特に印象に残った言葉を紹介します。
奥田「目の前の人にどう関わるか、対人援助は機械のようにはできない。伴走型支援、というのは『伴走している』という状態をあらわすもの。伴走しているということ自体が、「支援」であるということ」 奥田「今までの支援は「何を提供するか」という「メニュー」が支援であった。しかし「伴走している」という「状態」が支援であるという「伴走型支援」は、「問題解決をしない」ということも「支援」である、といえる」(!)
奥田さんは、「私たちは"自立支援"という言葉を使うのはやめた。"人生支援"だと言うとるんです」とおっしゃっていました。
奥田「ホームレスも個人の問題だと思われてきた。北九州のセンターではホームレスの知的・精神障害の割合は50%くらい。うち知的障害はグレーゾーンで障がい者福祉のセーフティネットにかからなかった人が多い」
奥田「障害認定を受けた人の話。「俺は障がい者だったのか」と初めて納得がいった。」
奥田「小さいころから知的障害がわかりさまざまな福祉サポートを受けてきた人とそうでない人の違いは何か。それはその本人のせいではないでしょう」
ホームレスの人たちの中には、知的障害や自閉症の人たちが多くいます。他人事ではありません。
奥田「いまは1960年代の家族が古き良き日本みたいにもてはやされているがそうではない。社縁・血縁・地縁がすばらしかったから取り戻そうというものではない。家庭という機能を分析したときに4つの機能があった。
1)サービス提供機能(家庭内での食事、看護、教育)
2)記憶の機能(単なる思い出、出来事の共有⇒アイデンティティの形成に必要 経験、記憶の蓄積が現在進行形の問題にどう対応するかということを考える際のデータべースになる)記憶の装置としての家庭
3)家庭外の社会資源とのコーディネート機能(病院等の家庭外サービス、社会資源とのコーディネート)
4)役割の付与 小さいころから何らかの役割を家庭内で持っていたということは大事」
「家庭モデル」は、伴走型支援を考えるために「家庭がどんな機能を果たしているのか」を分析するところから生まれてきたもの。わたしはケアホームの勉強をしていて、「親離れ」について考えています。機能の中でも、(2)記憶の機能があるというのが、まさに!と膝を打つ感じでした。
奥田さんは、「家庭の「記憶」機能には、アイデンティティを創るだけではなく、現在起こっていることへの対処法を参照するためのデータベースの役割がある。」とおっしゃっていた。例えば、病気に関してアレルギーや苦手のこともあるし、本人自身が選択する際に参照する(相談する)先として家庭というものがある。
また、記憶が、今を生きる理由、糧、命綱になることもある。そのことを言っているんだろうなと思います。
奥田「最近は本人のパーソナルなプランも書いてもらっている。昨今の風潮では、当事者主権ということで、『パーソナルなプラン』一本槍で行こうとしている所もあるが、自分はムリだと思っている。まだ本人の準備が整っていない。支援のプランと合わせた2本立てで行くべき」
本人主体であることが大原則ではあるが、「補助輪」のような段階的に外されていくことが予定された支援者の関与も必要だということだと思う。大切なのは時間軸で見ていくこと。支援する/される関係を固定的にせず、相互的に多重にしていく(そのためのビジョンを持ち、具体的なアクションをつくること)。
奥田「抱樸館の名前の由来 樸:荒木、原木。きれいに製材した木を抱くのではなく、原木のまま、抱く方も抱かれる方も傷つくが抱く。傷ついても抱いてくれる人がいること」
印象に残った言葉を少しひろうだけでも、これだけの分量になります。
今回ほど、時間が経つのが早く感じられた講演会もないです。もっと時間があれば、さらに深くやりとりをすることで学べたのに、と心から思います。 つながりを絶やさず、これからも奥田さんから学び続けたいと思いました。
まずは、奥田さんと茂木健一郎さんの共著『「助けて」と言える国』(集英社新書)を読んで学びたいと思います。